インターネットに触れるまでをふりかえる[My First Internet ~はじめてインターネットに触れたとき~]

2022年12月16日 金曜日


【この記事を書いた人】
北河 直樹

名古屋支社所属。新しい技術・怪しいデバイス・GISが好き。名古屋から影響力のある開発チームを作って発信していくのを目標としている

「インターネットに触れるまでをふりかえる[My First Internet ~はじめてインターネットに触れたとき~]」のイメージ

IIJ 2022 TECHアドベントカレンダー 12/17(土)の記事です】

はじめに

どうも三河からこんにちは。今年もアドベントカレンダーへエントリーした名古屋支社の北河です。

今年はIIJが30周年ということもあり、「My First Internet ~はじめてインターネットに触れたとき~」のテーマで書きたいと思います。

最後までよろしくお願いします。

インターネットに触れるまでの歴史

はじめてのインターネットを書く前に、インターネットに触れるまでの私のパソコン歴を知ってもらった方が感情移入出来ると思いますので、一方的に語らせてもらいます!

小学校2年~4年時代 (パソコンとの出会い)

初めてのパソコンは小学校2年の時に買ってもらったMSX。当時はファミコンが猛威をするっていましたが、ひねくれ者の北河家はあえてMSXという選択をしました。機種はちょっと記憶に無いですが、日立か東芝だった記憶があります。

初めて買ったゲームは「ギャラガ」、そして今は無き豊橋西武で「サーカスチャーリー」「キャベッジパッチキッズ」といったゲームをワクワクして借りた思い出があります。

一通りゲームを楽しんだ後は、テープレコーダーを繋げてBasicマガジンを写経する小学生になった訳です。

小学校5年~中学校3年時代 (パソコン黄金時代)

そして小学校5年の時に、8bit御三家 であり、最強にて最後の8bitパソコンといわれた「X1 Turbo Z」を家に迎えます。

兄と一緒に小学校低学年からお年玉とお小遣いを貯めて買いました。名古屋大須に繰り出し、いろいろなパソコンショップで値引きながら、最終的にディスプレイセットで178,000円だったような。確かツクモ1号店か2号店だった記憶があります。

しかし、せっかく買ったX1でしたが、兄が本体を、自分がディスプレイ代を払ったことにしたので、本体を触る権利がない自分はワクワクしながら兄の隣で見ている日々が続きました。

そんな中でも触れることも出来る時間もありました。Wizardryのレベルアップ作業です。あ、もちろん自分のデータでは無いですよ!兄のデータで条件を満たすまで「馬小屋で寝てレベルアップ」→「ステータスが条件を満たさなかったらリセットする」を繰り返す作業です。何言っているんだ?と思われる方もいるかもしれませんが、当時プレイしていたユーザは懐かしい思い出ではないでしょうか?

中学生にもなると、ある程度自由に使えることになり、ゲーム三昧、Basicマガジンの写経、NEW FM音源ドライバー(※1)で楽譜を打ち込む日々が続きました。

しかし悲しいことに、8bit時代の終焉と圧倒的不人気機種ということもあり、ゲームの新作はほとんど無いといった状況でした。とは言っても、イース1・2、ザナドゥ、ソーサリアン、ハイドライド3といった名作ゲームをリアルタイムで楽しめたのは良い思い出です。

※1 NEW FM音源ドライバー

X1 Turbo Z は音源が優秀で、PSG3音+FMステレオ8音といった豪華仕様でした。この音源を自由にプログラミング出来るMML(ミュージック・マクロ・ランゲージ)がNEW FM音源ドライバーです。

高校時代 (パソコン暗黒時代)

高校に入ると、パソコンから離れることになります。

当時は、パソコン == オタク、オタクはヤベー奴といった偏見が酷く、現在のように市民権がなかった時代でもありました。多感な高校生としては、市民権を奪われたくないためコソコソ隠しているうちに自然とパソコンから離れていきました。

しかし、高校の終わりごろにEPSONのPC-486SEを安く手に入れたことで暗黒時代も終焉を迎えます。そして復活の兆しです。

短大時代  (パソコン復活)

短大に入ると、電子工学科を専攻したこともあり再度パソコンを触り始めます。Turbo Cとか触っていました。しかしまだインターネットは触れていません。

兄はパソコン通信(NIFTY-Serve)でオンラインを楽しんでいたようですが、私はまだその世界には足を踏み込んでいませんでした。

この頃はバイクをカスタマイズするのが楽しく、バイトのお金が全てバイクにつぎ込まれていく日々でした。

そして就職先も決まり、ここからパソコンも完全復活することになります。そう、PC/AT互換機(通称 DOS/V) の登場です。

社会人用にパソコンを新調しようとして兄に相談すると、当たり前のようにDOS/Vマシンを勧めてきます。そして、扉を開けてみるとバイク以上のカスタマイズの世界が私を待っていたのです!

CPU、チップセット、マザーボード、グラフィックボード、MEM、HDD、ケース、電源 …

なんということでしょう!組み合わせは無限大です!

初のDOS/Vは記憶が曖昧ですが、お下がりのCyrixの5×86 or 6×86か、AMDの5K86 or K5を積んでた記憶があります。

このDOS/Vがインターネットに初めて繋がるPCとなるのです。

そしてインターネットへ

やっと、ここまで来ました!そして、ついに繋がる瞬間が訪れます。本ブログのメインテーマです。

学生の終わりごろ、就職先より会社の連絡事項はNIFTY-Serveで行うので、ネットに繋いでNIFTY-Serveの会員になれと通知がきます。

そうです、記念すべき初めての通信は NIFTY-Serveで  “就職先からの業務連絡を受ける”  なのです!すみません、面白くもなんとも無いですね!

当時のモデムは33.6kか56kモデムだったと思います。「ぴーがーがーぴーがー」って鳴る奴ですね。

今では当たり前のことですが、インターネットに繋がったことで、雑誌で月1回更新だった情報が、毎日のように更新される衝撃は今でも忘れられません。

そして、テレホーダイが始まる23時が日々の楽しみになりました。

インターネットの一番の思い出

楽しかったこと、辛かったこといろいろありますが、社会人になって初めて自分が関わったプロダクトがネット記事に載ったのが一番の思い出です。

フロッピーを記録メディアとするデジカメの派生機ですが、プロトタイプの記事が出た時は「うおぉぉぉぉぉ!」って思わず声が出てしまいました。

インターネットを通じて世界中の人たちが見てくれているんだ!と実感した瞬間でした。

それから…

ISDN、ADSL、光回線と家の通信速度は速くなっていきました。通信速度に比例して、コンテンツもリッチになりました。今では56kppsなんて何も出来ませんね。。。

最近実家に戻ったら、こんな物が置いてありましたので貼っておきますね!中身は空でしたが、箱は丁寧にしまってありました。

さて、これからの20年はどのようになっているのでしょうか?楽しみです!

最後に

あの時代に、自分が貯めたお金とはいえ、小中学生が大金でパソコンを買うことに対して一切反対をしなかった両親には感謝しかありません。あの幼少期があってこその現在だと思っています。

今回この企画で、いろいろ忘れていたことを思い出すことが出来ました。なので、自分の子供たちにもやりたいことがあれば迷わず背中を押してあげたいと思います!

では、また会いましょう!


執筆者Twitter @nk_tamago ※意見は個人のものです
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北河 直樹

2022年12月16日 金曜日

名古屋支社所属。新しい技術・怪しいデバイス・GISが好き。名古屋から影響力のある開発チームを作って発信していくのを目標としている

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