NABと私

2017年04月28日 金曜日


【この記事を書いた人】
山本 文治

1995年にIIJメディアコミュニケーションズ入社。それより映像とインターネットの間をさまようエンジニアとなる。2005年よりIIJ勤務。2017年よりVidMeetを主宰。SNSはLinkedInにて。

「NABと私」のイメージ

毎年4月に世界中の放送事業者の注目が米国ラスベガスに集まります。映画および放送業界に向け、機器やソフトウェア、ソリューションが集まる技術展示会が開催されるからです。このイベントをNAB Showといいます。そこで考えたことをbunjiがレポートします。

NAB Showとは

NAB Show(以下NABと略)はThe National Association of Broadcasters(全米放送事業者協会)が毎年4月Las Vegas Concention Centerで開催する展示会及びカンファレンスです。今年は4月22日から27日まで(展示会は24日から)の間、1,700を越えるブースに103,000人の参加者を集めました。

私は今回展示会を視察してきました。きちんと数えていませんが、10回目くらいの参加になると思います。世界中からNAB参加者が訪米するこの時期、米国の入国審査で「NABのために来た」と言えば、審査官がまたかという顔をするほどです(なおこの時「ナブ」と言わず「エヌ・エー・ビー」と発音した方が通りが良い気がします)。私は米国での入国審査に苦手意識があるので、審査官がNABのことを知っているだけでホッとします。


NAB ShowはLas Vegas Convention CenterのNorth Hall, Central Hall, South Hall (Lower, Upper)を使って開催される。写真はSouth Hallの入り口。多くのIT企業がブースを構える場所でもある。

さておき、このイベントが業界的にどのくらい注目されているか例を挙げますと…本来社用出張でNAB視察に行ってもおかしくない人が、出張を許可されずとも「自腹で」「休暇を取って」ラスベガスに飛んでくる例が多いのです。それでも出かけたくなる魅力がこの展示会にはあると見え、私のまわりでもこのような話は毎年観測されています。(大抵その後に「溜まりまくったマイルを使って渡米」「NAB帰りにはゴルフを楽しむ」あるいは「ナパに寄ってワインを飲む」というサイドストーリーが続くのが特徴です。Have a good show!)

IIJとNABの関係

IIJはもちろん放送事業者ではありませんが、サービスの提供を通じて多くの放送局とのお付き合いがあります。また放送事業者との共同出資会社も設立しており、株主同士という関係も生まれています。放送の世界の動向をいち早く知り独自の見解を得ることは、IIJがエッジの効いたサービスやソリューションを展開するために非常に重要なことなのです。(よって、私は出張としてNABを視察しております。念のため。)


IIJ, IIJ GIOのロゴも会場内ブースで掲示されていました。

IPと放送

放送局が注目している技術は何か。今年のNABから読み取れたのは「コンテンツ配信の利用高度化」と「IP技術利用の一般化」でした。実例を挙げながら説明しましょう。

放送局が自らの番組をインターネットに向けて映像配信する時、彼らは外部のサービスを購入しています。これまで「放送品質」を担保するために全ての設備をオンプレミスで揃えてきた放送局からすると、外部サービスの導入は違和感があるようです。しかしインターネットはもはや環境であって、一社のみの努力で放送品質を確保できるようなものでもありません。そこで彼らは冗長性を持たせるようにサービス購入の方法を変えて来ています。つまり映像配信するためのCDNサービスを2社以上から購入し、マルチCDN環境を自ら構成します。例え片方のサービスが中断してももう片方のCDNがサービス継続していれば大丈夫、という考え方です。

IIJのCDNはIIJのバックボーンとプラットフォーム上に構築されていますから、マルチCDNの考え方には馴染まないところがあります。マルチCDNが冗長性確保のために有効な手法かどうかはなんとも言えません。また複数事業者のサービスを同時に使った時に、なにを以って品質が担保されているとするかの線引きは難しいと考えます。何しろ他の事業者が運営しているサービスですから「これで大丈夫」と言い切ることができないためです。

そこでマルチCDN環境下での問題を解決するためのツールが多数出て来ています。動画再生プレイヤーにビーコンを埋め込むことで受信状況を判断するアプローチが一般的です。プレイヤーは「自分がどのストリーミングサーバに誘導されているか」「自分がいまどのような品質でストリーミングを受信しているか」を判断することができます。このレポートをストリーミングサーバとは別のレポーティングサーバに集約することで、プレイヤー全体の受信状況を判断することができます。つまりCDNごとの配信状態を把握できるようになるため、これをCDN振り分けの制御に使えるということです。

あるツールは、受信クライアントがストリーミングサーバに対して「スマートな」tracerouteを実行します。クライアントからサーバまでの経路上に問題があればそれも添えて、定期的に実行されたtracerouteの結果を計測サーバに送ります。計測サーバは多数のクライアントから集めたtraceroute結果をビジュアライズして表示します。すると、パケットロスがどの区間で多く発生しているかが目に見えて分かります。さらにこのツールはBGPの経路情報を用いることで「どのAS間でパケットロスが多い」といったことを示すこともできます。ISPにとってはなかなかドキドキするビジュアライゼーションです。:-)

以前このツールを同僚と話題にした時はこんな議論がありました。「サーバからクライアントに至るストリームの向きとtracerouteの向きが同一ではない。往復経路が非対称になることもあるインターネットの仕組みを考えると、ストリーミング受信状況という観点では正確なデータとは言いがたいのではないか」という意見です。たとえこのツールで混雑している区間を発見できたとしても、逆方向の状況が同様とは言い切れません。このことは開発元も認識はしていましたが、”Better than worth”ということですね。

「マルチキャスト」の再来

日本では2015,6年あたりから「マルチキャスト」がふたたびホットなキーワードになってきています。マルチキャストの特質を活かし大規模配信に使いたいというアイディアは、放送局だけではなく関連する官民各組織でもアツくなってきているようです。

とはいえそう簡単にマルチキャストのデプロイはできません。IPネットワークがマルチキャスト化されているサービス事業者はそう多くありませんし、家庭内の機器は未対応のものばかりです。そこで折衷案が生まれてきました。「ストリーミングサーバからホームゲートウェイまではマルチキャストを用いて配信する。ホームゲートウェイは家庭内のデバイスに対して再配信するが、ここにはユニキャストを用いる」というアイディアです。大規模配信に伴うストリーミングサーバの配信コスト上昇を抑えつつ、マルチキャストをサポートしていない家庭内の受信デバイス(特にテレビ)へはこれまでのプロトコルとフォーマットが使えるという、一挙両得のストーリーです。


今やビデオ機器のバックプレーンとなりつつあるレイヤ2スイッチ。大量のマルチキャストパケットをフォワーディング中。

良いことづくめに見えますが、マルチ・ユニ変換に加えフォーマット変換も伴い(RTPからHLS, MPEG-DASHなど)サーバ機能も必要になります。そんな重たい処理ができるホームゲートウェイ的デバイスは未だに普及していないだろう!と思ってしまいます。しかしマルチ・ユニ変換のアイディアは面白いですしチャレンジングです。

そうした機能を提供しているソフトウェアベンダーのブースでは、通りかかるたびに日本からの訪問者と思しき方々が説明を受けている姿がありました。今後大きな話題になるかもしれませんね。

一般化する「SDIからIPへの移行」

以前から別媒体で報告してきた「SDIからIPへの移行」については、ごく当たり前の技術として受容された印象を受けました。多くのブースでVideo over IPの規格である「SMPTE ST 2022対応」というアピールを見ることができました。もちろんIPを使うことのメリットも理解されていると思いますが、今後の伸び代はベンダーによって方向性が分かれてきそうです。(ヒント:音声をどう扱えるか、ビデオデータセンターの核となる技術を持っているか、など)


データセンター?いえ、Video over IPの相互接続デモの模様です。ラックマウントされたクロスベンダーの機器群は、レイヤ2スイッチを介して相互に接続されています。

後継規格のSMPTE ST 2110は規格化が完了していませんが、対応しますというアピールが多数。まだ決まってないのに対応を謳うのはどうなんだろうと思いつつ、どうせ訪問者から聞かれちゃうし、言わないとお客さんが勝手にマイナスポイント付けちゃうからなんでしょうね。

ストレートなエンジニアトークができるのもNABの魅力

独自の映像伝送プロトコルを提案するメーカもちらほら見かけました。現状広く使われているRTPやRTMPあるいはHTTP/1.1には利点もあれば欠点もあり、それを克服しようという流れが表面化してきていると捉えました。あるベンダーでなぜ新しいプロトコルを開発したのか問うたところ、類似の提案がイケてないから、という直截的な回答が返ってきました。このようにストレートなエンジニアトークができるのも、NABの良いところです。他技術disを聞くのは面白いですが、エンジニアの本音を聞き出すには背景理解とそれなりのボールを投げることも必要です。Disはdisとして、ではエンジニアとしては技術がどうあるべきと考えてるわけ?という前向きな問いかけにもつながりますので、楽しんでだけいるわけではありません(と、日記には書いておこう)。


エンジニア同士のコミュニケーションにはこれだろ!と取り出されたホワイトボード。分かっていらっしゃる。

新技術とNAB

放送だけでなく広く映像業界に目をむけると、今回はやはりVRが流行りでした。しかし大手ベンダーの参入は少なく、スタートアップに近い企業がより活発である印象を受けました。新しい技術が育っていく過程をなぞっているようですが、映像業界全体のムーブメントとして育つかどうかはまた別の話でしょう。VRは映像表現・体験の一手法であり、これまでの技術を塗り替えるようなものではないからです。普及済みの映像再生デバイスが使えないのも痛いところです。こうした難問に対してVR推進側が今後どのようなアプローチを取るか、あるいは現状でよしとするか。

4Kは成功しました。8Kは誰も話題にしません。3Dはなんども挑戦を続けていますが、敗退を続けています。いずれも、NABではもう新しいメッセージにはなりません。4KであってもNABという場から見ると「すでに新規性を失った技術」であり「コモディティ」です。コモディティになった技術について、わざわざラスベガスまで調べに来る人はいません。(そういう意味ではVideo over IP技術の「NABでのブーム」はピークを過ぎつつあるかもしれません。)

NABは放送局などが「仕掛ける側」の観点で参加する場所です。決してユーザ観点ではありません。仕掛ける側は技術の新規性だけではなく経済効果を求めます。有り体に言えば「それをやったら幾ら儲かるの?」というシビアな問いが投げかけられることになります。多分これ、言われた側は「それを考えるのがお前の仕事だろう!」と心の中で思ってらっしゃいますよね。お察しします…ですがその問いを超えたものが市場に出ていき、リアルなビジネスを形成していくことになるのです。

いずれにせよ今年、NAB全体を巻き込むほどの大きなメッセージはありませんでした。そのようなメッセージは4K以来数年間存在していません。最近市場での受容に成功したのはコモディティだけど思い切り安価なデバイス、ハンドヘルドカメラ、ドローン、HDRでしょうか。いずれもNABの会場では徐々に存在感が薄まりつつあります。次はどんな新しいメッセージが提出されるのか、あるいは復活を遂げるのか、来年のNABが楽しみなところです。

本稿の締めに

最後に会場そばのお勧めレストランを紹介してこの稿を締めましょう。South Hall East Entranceから道路を挟んだコンプレックスにエチオピア料理屋があります。(神保町のカレー屋さんのことではありません。それについてはまた今度。)質素な店内にはゆったりと時を楽しむエチオピアルーツと思しきおじさんたちが集い、もちろん異邦人は私一人だけ。流れる時間の落差と聞こえてくる言葉のエキゾチックさに自分がいまどこにいるのか忘れそうになります。そういえば空港から乗ったタクシーの運ちゃんもエチオピアから来たって言っていたっけ…


エチオピア料理屋の羊肉料理。クレープ生地に似たインジェラという食べ物に具材を巻いて食べる。インジェラはしっとりとした触感があり、案外お腹にたまる。羊肉には独特の酸っぱい味付けが効いており、地味ながら食事の基調を支えるしっかり目のスパイシーさが楽しめる。

山本 文治

2017年04月28日 金曜日

1995年にIIJメディアコミュニケーションズ入社。それより映像とインターネットの間をさまようエンジニアとなる。2005年よりIIJ勤務。2017年よりVidMeetを主宰。SNSはLinkedInにて。

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