インターネットとサービス品質

2021年12月10日 金曜日


【この記事を書いた人】
長 健二朗

IIJ 技術研究所に所属。インターネット計測とデータ解析などの研究に取り組んでいる。

「インターネットとサービス品質」のイメージ

IIJ 2021 TECHアドベントカレンダー 12/11(土)の記事です】

はじめに

本稿では、インターネット接続サービスと品質、特にアクセス網のサービス品質について考えます。コロナ禍で、リモートワークのビデオ会議や遠隔授業に必要な性能が出ないという報告やクレームが急増し、接続サービスの品質問題が表面化しました。娯楽用途などの不要不急の利用であれば後でやり直すこともできましたが、リアルタイムで参加する場合にはそういう訳にはいきません。このような状況を受けて、接続サービスの品質について議論する機会が増えています。ところが、サービス品質の関しては、技術者と利用者で話が噛み合っていないと感じられます。これは、技術者視点の品質と利用者視点の品質のギャップだと思います。技術者にとって接続サービスは通信技術です。ところが、多くの利用者は通信技術に興味はなく、動画を見たりSNSでやりとりをしたいのです。そのような利用者に技術的な性能指標を示しても解ってもらえません。

端的な例は接続サービスの広告です。多くの通信事業者はアクセス回線容量を最大速度と強調してサービスを宣伝しています。そこには、「本サービスはベストエフォート型で、利用速度は利用環境や回線の混雑状況などで低下する場合があります」というような注釈が入っています。これは利用者がサービスに求めているものではなく、 訴えているものが利用者が求めるものとズレているのです。

関連して、接続サービスに対する消費者からのクレームの多くは、宣伝されているような性能が出ないというものです。これを、回線共有とベストエフォートという概念の理解やアクセス回線容量とスピードテスト結果の関係に対する説明不足とするのはピントがずれています。利用者の不満の本質は使いたいサービスが使えないということであって、技術的な説明が欲しい訳ではないのです。

残念ながら、通信事業者にとってはアクセス回線容量以外に広告で訴えるものがないのも確かです。利用者にとってもスピードテストしか性能を示すものがありません。その結果、通信事業者も利用者も通信速度が大切だと思っています。このような状況を打開して、利用者に満足してもらえるサービスを提供していくためには、利用者視点でサービス品質を考える必要があるのではないでしょうか。

インターネットのサービス品質とは

では、インターネット接続サービスの品質とは何でしょう? 残念ながら、明確に定義されたものはありません。一般に、「品質」は総合的にニーズを満たす度合いということができます。工学的には、個別の性能指標やその他の要素を組み合わせて表すことができます。性能指標は特定の性能に関する評価尺度です。インターネットのパケット通信の性能指標には、スループット、遅延、それらの揺らぎ、パケットロス率などがあります。

さらに、インターネット接続サービスで難しいのは共有による影響です。(以前の記事で説明したように)インターネット接続サービスは他のユーザと資源共有することで低コストを実現しています。そのため、他のユーザが使うとその影響を受け性能が低下する場合があります。一般の工学では性能評価は回りからの影響を排除して行うものですが、共有を前提とした接続サービスの場合は、他のユーザの影響を含めたサービス性能を評価しなければ意味がありません。それを定量化するには、異なる時間や場所での測定を沢山集めて統計的に処理する必要があります。しかし、技術者が知りたい統計データは、かならずしもユーザが知りたいものではありません。

品質は総合的にニーズを満たす度合いとしてさまざまな定義が可能です。技術者視点だと、スループット、遅延、それらのばらつきを組み合わせて定量化したものが考えられます。利用者視点だと使いたい時に快適に使えること、つまり、安定して一定以上の性能が得られることだと考えられます。それを満たした上でさらなる品質向上もありますが、まずは普通に使えることが大切なのでこの部分にフォーカスします。

スピードテストの特性

スピードテストで測るのは、テストサーバと宅内の計測クライアントの2点間の転送量です。これを計測時間で割ってスループットを得ます。通常、10秒程度でダウンロードとアップロードを計測します。(ちなみに、スループットを通信速度と呼ぶのも混乱の一因です。測っているのはどれだけ沢山のデータ量を送れるかという伝送路の太さで情報の伝搬速度ではありません。)

スループットは回線の混み方によってばらつきます。利用の重なりがなければ最大性能に近い値が出ますが、利用者が多い時間帯には混雑による速度低下の確率が上がります。混雑以外にも、測定端末やWi-Fiなどの宅内ネットワークの性能不足、サーバ側の処理能力低下なども影響します。

スピードテストは手軽に計測ができて便利ですが、使いこなすのが難しいツールでもあります。簡単に測れますが、宅内のWi-Fiや他のトラフィックなどの影響を受けて測定結果は複雑にばらつくので、正確に計測することは容易ではありません。そして、まわりの影響と時間変動、ばらつきの解釈など、結果を総合的に理解するための知識も必要になります。

スピードテストで性能が良いことを示すのは簡単です。何度か計測して一番良い結果を選べばすみます。しかし、ネットワーク品質が悪い事を示すのはそんなに簡単ではありません。回線共有ベストエフォートサービスのスループットは変動します。したがって、1回の計測で結果が悪くても、それをもって品質が低いとは言えません。たくさんのサンプルを統計処理する必要があるのです。しかし、スピードテスト自体は基本的に1回ごとの計測手段でしかなく、統計処理機能はありません。つまり、スピードテストは品質に満足している場合には良いツールですが、不満な場合にはかならずしも適していないのです。

スループットと品質と関係

スループットが直接示すのは転送性能です。これは、大きなファイルのダウンロードがいかに早く終わるかという性能です。また、間接的には帯域の余裕を示し、余裕があることはシステムの安定性に繋がります。余剰帯域が一時的なトラフィック変動を吸収するので、ビデオ会議や動画視聴などのアプリの安定動作に寄与します。帯域にある程度余裕を持たせることは、パケット交換網の安定動作に欠かせません。しかし、必要以上に余裕を増やしても、それ以上の効果は期待できません。

にもかかわらず、スピードテストを行うと心理的に速さを求めてしまいます。つまり、低い値より高い値に注目してしまうのです。例えば、スピードテストで最大600Mbpsでるサービスと最大800Mbpsでるサービスを比べると、実用上の違いはほとんどなくても後者を選びたくなります。結果的に、スピードテストはユーザも通信事業者も底上げではなくトップ争いに誘導してしまい、市場もその方向に進んでしまう危険があります。

ユーザ向けの品質指標

このように、サービス品質を示すのに性能指標をそのまま使うと高性能を求めがちです。それよりも、ユーザが求めているのは普通の品質が安定して提供できているかであり、それを示すようなユーザ視点での総合的な品質指標が必要だと思います。

その一例として、基準品質を満たしている割合を達成度で示す方法があります。ユーザが使いたいのは、Webブラウジングやビデオ会議などの特定のアプリケーションです。アプリケーションにも色々ありネットワーク性能要求も様々ですが、一般家庭での利用を想定して基準を定義することは可能です。例えば、家庭で両親がそれぞれビデオ会議をすると同時に、子供ふたりが別々に動画を視聴し、もうひとりが対戦ゲームをに行うのに充分な性能を基準品質とすれば、ほとんどの世帯での利用に充分だと考えられます。

これらのアプリケーションの動作を組み合わせてエミュレートする測定ツールを作り、品質基準を満たしているかどうかをテストすることができます。一回のテスト結果は、合格か不合格化の判定となります。そして、定期的な測定結果を集約して達成度として表すことができます。例えば、達成度99%だと、1日あたり23時間45.6分は達成した、逆にいうと14.4分は基準を満たせなかったことを示します。

このような方法のメリットは、まず、利用者視点では達成度という数字にだけ着目すれば良く、個別の性能指標を知る必要がないことです。具体的な性能指標の組み合わせ方は専門家に任せ、数年ごとに見直すことにします。サービス全体で達成度が改善すると品質が底上げされます。次に、最大性能を測る必要がなくなるので、測定端末やネットワークの負荷が大幅に低減できます。上記の例の基準品質で必要な帯域は20Mbps程度なので、1Gbps回線の最大速度を計測する1/50程度の負荷で済み、測定端末に必要な性能も大幅に減らせます。測定結果は数値でなく合否なので、ばらつきが減り統計処理も容易になります。

まとめ

自動車の品質について語る際にエンジン性能が強調されることはありません。品質はカタログスペックに表れないような価値だという認識があり、広告でもエンジン性能をアピールしたりしません。ところが、その昔、1970年代前半のオイルショックまでですが、車は排気量が大きい方が高品質だと思われていた時代もありました。実際、その頃の自動車広告では、排気量や馬力数を前面に出すものが多かったようです。インターネットでも技術と市場が成熟していくと状況が変わっていくはずです。

アクセス網の接続サービスの既存の指標は技術者視点です。通信技術として技術者視点の指標も重要ですが、そろそろ利用者視点の指標が必要なのではないでしょうか。

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長 健二朗

2021年12月10日 金曜日

IIJ 技術研究所に所属。インターネット計測とデータ解析などの研究に取り組んでいる。

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